堀澤麻衣子 人生ストーリー 七転び八起き 心の向き合い方

「素」

当たり前だと思っていた

いつもそばにあるものだと

大事なあまり

傷つけてしまっていた

もう1度 あの日の輝きを取り戻したい

心の声に素直に生きるだけ

諦めるなんて

わたしの辞書にはないのだから

・BGM「The Art of Who I Am」

https://youtu.be/5KPMtW4BFvo

 「歌で世界を笑顔に・・・平和にしたい」

 そう決めて 生きてきた。

戦争のない 平和な世界をつくるには

国境も越え、言葉も越える

音楽の力で

みんなの心をつなげたい。

だから 歌を歌った。

歌が大好きだったから。

ある日、初めて歌を歌ってほしいという依頼を頂いた。

心こめて歌った。

しかし、謝礼を頂いた瞬間に

あきらかに心に違和感を感じた。

わたしの心は、

歌=金銭になる ということに折り合いがつかず

居心地の悪さだけが残った。

理由はこうだった。

まだまだわたしなんて下手なのに、

もっともっと上手くなる必要があるのに

頂いたこの対価はなんなんだろう・・・

まだまだ歌の質を上げていきたかった私にとって、

深く深く歌を愛しすぎていた私にとって、

それは、とても複雑な想いだった。

歌=生きる術にするプロ・・・

わたしには、プロは向いていないのではないか

初めてそんな想いが胸を支配しはじめていた。

しかしある日、急に高い声が出にくくなった・・・

ポリープができていたのだった。

手術を勧められたが

今までで一番の恐怖が 私を襲った。

「声帯を切除したら

もう二度と前と同じ声がでなくなるのではないか・・・」

そんな不安が頭をかすめる毎日。

しかしこれ以上、ほっておいても歌手として使い物にならない喉になってしまう。。。

進むしかない。

そう、一大決心をして、手術に望んだ。

手術は成功した。

だがその後、

医師にいわれたことは、

「ポリープは綺麗になくなりました。

ただ、また同じ歌い方をしていたら、

またポリープが再発し 声は出なくなります」

 目の前が真っ白になった。

歌手にとってなにより大切な「声」。

それがまた出なくなるかもしれない。

恐怖が再び襲う。

こんなに長年歌を習ってきたのに、

またいちからの、振り出し。

どうしたらいいんだ・・・

未来が真っ暗になった。

手術後、しばらく声を出してはならず、

日常はホワイトボードでの会話。

21歳の私は一般病棟がいっぱいとのことで

なぜか小児病棟に入院することになった。

まわりには入院している子供達ばかり。

子供達からは”声の出ないおねーちゃん”と呼ばれた。

ホワイトボードで子供達と会話を続け、

退院が決まり、2週間が過ぎたある日、

ある男の子が話しかけてきた。

 「おねーちゃん、もう退院しちゃうの?

よかったね…僕は赤ちゃんの頃からずっとここだよ」

何かが胸につっかえて、その子の言葉に何も返せなかった…

この子はどんな人生を送ってきたのか、そう思うと

自分の退院を心から喜ぶことはできなかった。

後ろ髪を控えれる想いで病院を後にした。

数日間後も、あの子の言葉が耳から離れない。

「あの子に会いたいな・・・何か私にできることはないだろうか・・・」

その時浮かんできたのは

「もう一度、歌えるようになって、あの子に歌を届けに行こう」

絶望の中に、男の子の笑顔が浮かんだ。

あきらかに、恐怖にさいなまされていた心に

静かな光が差し込んできた。

その日から、自分の身体に徹底的に向き合った。

ただ声への恐怖は未だ抜けないまま、

今日は1分、明日は2分、、、、と、

少しでも喉が痛くなったら、やめ

また新しい方法を試してはやめ、を繰り返す。

長年習ってきても、ポリープができた。

ということは、既存のやり方では

わたしのような喉が弱い人間はダメなんだ。

どんなに喉が弱くても

圧倒的に声がでるようになる発声法でないとだめだ。

そこで自分へのMissionを課した。

「高い声がいつでもらくらく出て

透き通る声を保ち、二度と喉が痛くならない方法を作る」ということ。

先入観が入らないよう、既存の専門書を一切読まず、

自分の身体だけで実験を繰り返し、試行錯誤しながら実験は続いた。

どんどん声が出るようになり

わたしはその男の子に会いにいくため

ボランティアのコンサートを企画した。

その子のために歌った。

病院にずっと入院しながらも

大人が自分のために

一生懸命、病気を治そうとしてくれているその想いを

彼らは子供ながらに感じていた。

だから、いつも笑顔で、文句ひとついわず頑張っている子供達・・・

早く病気がよくなって

元気に走り回れますように・・・

嬉しそうに

歌ってくれた

点滴がつながったままの腕を

嬉しそうに振りまわしながら

そこに言葉はない

しかし そこには

歌を通して 心の触れ合いが存在した

そのとき はじめて

わかったことがあった

本当は外に遊びにいきたい子供達

一番本当は心に栄養がほしい子供達

一番必要なところに

音楽を届けたい

わたしは病気の子や

傷ついた子供たちに歌を届けたい。

子供たちのために

ただ 歌を届けたいんだ

それが一番私がやりたいことであるということが

わかった瞬間だった

後に、あるテレビ番組で

マイケルジャクソンや

マドンナも

病院に訪れていることを知った

その映像を見て、

こんなにも子供達が喜ぶなら

私ももっともっと生きているうちに努力して

歌が上手くなって

プロとして歌っていけば

もっともっと

子供たちを笑顔にできるかもしれない

人生の中でのひとときを

一緒に過ごせるかもしれない

そう思った時

わたしの気持ちは固まった

本気でやろう

プロになって

最高級の声を届けよう

*

そして、わたしはそこからさらに

楽器となる身体に向き合い

いろんな試みを試した。

そんな矢先、

ある話が舞い込んできた。。。

つづく

* 本日のBGM「The Art of Who I Am」より抜粋

https://youtu.be/5KPMtW4BFvo

失敗なんてない すべては明日へのレッスンだから

人生はリハーサルもなく進むの 約束やプランもない

だから私は過去にキスをする 次の日も

また次の日にもキスをしてあげるの

人生というアートを大切にしたいから

銅版画家の小松美羽さんの個展で触発され、歌わせて頂きました
数千年の時の流れから学ぶこと